SDGs
スペシャル
インタビュー
ジャカルタ事務所 所長 伊藤 誠治

水災害・防災を世界に。
SDGs策定に奔走した、
国際連合での7年間。

LEAD

アフリカのように水不足に悩む国もあれば、日本や東南アジア諸国のように多すぎる水により洪水に悩む国もあり、衛生はさらに多くの国や地域で共通の課題です。国際連合(国連)のSDGs(持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals))策定において、「水災害の対策(防災)」を取り入れるために奔走した伊藤誠治。各国の関係者と議論を重ね、粘り強く共感を得ることで、開発目標「11. “だれもがずっと安全に暮らせて、災害にも強いまちをつくろう”」「13. “気候変動から地球を守るために、今すぐ行動を起こそう”」にその旨を反映。水害による貧困層の被害軽減や、気候変動による災害の軽減を目標に取り入れることができたのです。

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国連に出向するきっかけは 世界の水問題をあつかう
“世界水フォーラム”の
事務局経験を活かして。

「20世紀は石油をめぐって争いが起きた、21世紀は水をめぐる争いの世紀になるだろう」という世界銀行副総裁の発言をきっかけに、世界の水問題の議論が活発化し、2003年には世界最大の水に関する国際会議である“世界水フォーラム(World Water Forum)”が日本で開催されました。私は、“(社)国際建設技術協会”へ出向していた際、オランダで開催された世界水フォーラムに関わった経緯もあり、2000年から “第3回世界水フォーラム事務局”で勤務をしました。第3回世界水フォーラムは、京都・滋賀・大阪を含めた淀川流域を会場として182の国・地域、43の国際機関から約3万人を超える参加者が、水と貧困、水と食料など38の主要課題について討議されました。一方、国連では2000年にSDGsの前身である、「MDGs(UN Millennium Development Goals:ミレニアム開発目標)」に水をテーマとした目標が示されており、2015年の目標達成に向けて、私たちも議論を重ねていました。そういった縁もあり、MDGsの推進、水分野の目標達成をフォローアップをするという話をいただき、会社を休職し、国連で勤務することに。2006年11月から2013年4月まで、ニューヨークで経済社会局持続可能開発課に席を置き、やがてSDGs策定の仕事に携わることになりました。

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どのようなことを行なってきたか 水が多すぎて
困っている国もある、
という認識を広めていく。

2006年当時は、MDGsの目標と示された「安全な水と衛生設備の普及」をどうやって進めて、モニタリングをしていくかという時期で、特に欧米を中心とする国際的な水問題の関心事といえば、清潔で安全な水や衛生的な施設へのアクセスなどでした。しかし、日本やアジアモンスーン地域のように洪水が多発して水が多すぎて困っている国もあります。特にバングラディシュやタイなどアジアの地域では、日本と同じように毎年洪水が発生し、悩んでいます。また気候変動で雨の降り方が変わってきており、海面上昇などの現象が起こる中で、「多すぎる水」、「経済成長を妨げる水災害」という問題を、国際的にも認識してもらう活動も必要という思いもありました。そこで協力してくれる国や仲間を集め、議論を重ねながら、開発目標に盛り込むための活用を行いました。

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苦労したことは 国際的な協力の必要性を、
説いて回る日々。

やはり洪水など水が多くて困る、ということへの理解を得るのは大変でした。アフリカや欧州など水不足の国は実感がありません。「それは災害が発生したあと赤十字やその国が対応すればいいのでは」、「防災に対する投資は理解が得られない」といった意見がある中で、「いやいや国際的な協力が大切なんです」と粘強く対話を重ねていく。なかなか骨が折れる仕事でした。でも気候変動によってアフリカでも突発的な豪雨が起こり、氾濫する川が増えてきた。そのとき犠牲になるのは川沿いの低湿地に住まざるを得ない貧困層なのです。防災のためのインフラに投資をし、洪水予警報などの技術を駆使し、ハザードマップや避難訓練などのソフト対策をすることで、多くの命が救える、そのような話を交えながら、少しずつ他国にも理解を得ていきました。そして非常に不幸な出来事ですが、2011年に起こった東日本大震災やタイの大洪水が大きな衝撃を与え、国際的にも水災害の犠牲を少しでも減らさなければならないという認識が高まっていきました。

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印象的なエピソードは 国連の特別会合で、
皇太子殿下の基調講演を実現。

2013年4月、私は国連からニュージェックへと戻りましたが、私たちが議論してきた内容は、最終的に、SDGsで、開発目標「11. “だれもがずっと安全に暮らせて、災害にも強いまちをつくろう”」や「13. “気候変動から地球を守るために、今すぐ行動を起こそう”」に活かされました。水害による貧困層の被害の軽減や、気候変動による災害軽減を目指そうという内容です。そして、印象的な出来事といえば、2013年3月、帰国直前に国連本部で国連事務総長主催「水と災害」に関する特別会合を開催できたことでしょうか。これは、世界から水や災害の専門家など500名が参加。日本からは皇太子殿下(当時)にご臨席いただき、東日本大震災や日本での過去の災害の記録等を踏まえた基調講演が行われました。オランダ皇太子殿下(当時)に加え、各国政府高官などにもご出席いただきましたね。私はこの会議を成功させるために、各国関係者との調整から警備体制の構築まで、プロジェクトマネジメント的な役割を担当させていただきました。ハードな交渉の連続でしたが、こんな素晴らしい機会を経験できることはめったにない。世界のリーダーが集い、大きな流れが生まれたそんな場に立ち会ったことを実感しました。自分の仕事人生においても、大きな誇りと自信になりました。

  • 11. 住み続けられるまちづくりを
  • 13. 気候変動に具体的な対策を

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SDGsへの意識について 若い人たちが
暮らしやすい社会に。

私が「Sustainable Development」という言葉を聞いたのは、2002年に南アフリカで行われた“ヨハネスブルグ地球サミット”で示されたときでした。自分自身も周りの人も「サスティナブルって何?」という状態でした。あれから約20年。子どもの授業や夏休みの宿題のテーマにも取り上げられるほど、SDGsは身近なものになりました。「本当に世界は変わるんだなあ」と思う。とはいえ、SDGsの取り組みは始まったばかりです。SDGsは一人でできることはたかだかしれているかもしれません、でもみんなが少しずつ「こういうことをやればいいね」というものを持ち寄れば大きな力になります。そのような地に足のついた活動が進むのと並行して、国際社会が協調しながら技術革新を進め、結果として、誰も取り残さない環境を創出し、子どもたちや次の世代の地球に暮らす人・生物が安心して暮らせる社会になればいいなと思います。私自身は、現在インドネシアで主に電力・エネルギー関連の仕事を担当していますが、再生可能エネルギーはインドネシアも日本もホットな話題。カーボンニュートラル社会の実現など、両国のSDGsに貢献していきたいですね。

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