プロジェクト
ストーリー

PROJECT
STORY 03
寝屋川流域総合治水対策 写真提供:大阪府

寝屋川流域総合治水対策

「流す」「貯める」「備える」で、
水害に苦しんだまちを、
水害に強いまちへ。

OUTLINE

近年、日本各地で頻発する集中豪雨による被害。これまでの治水対策だけでは対応が難しくなってきている今、河川管理者、下水道管理者および地方公共団体など、河川流域全体のさまざまな関係者が協働し、流域全体で水害を軽減させる「流域治水」が求められています。この「流域治水」に、全国でもいち早く取り組んでいるのが、東部大阪に位置する寝屋川流域。古くから浸水被害と戦い続けてきたこのエリアでは、昭和59年に国、大阪府、流域関係11市が委員会を設立し、河川や下水道の整備を進めるとともに、流域における保水・遊水機能を人工的に取り戻す先進的な治水対策を開始しました。ニュージェックの河川グループは、この総合治水対策を40年以上にわたって伴走し続けています。

MEMBER

  • 齋藤 憲 齋藤 憲 河川部門
    河川グループ
    昭和59年より40年近くにわたって寝屋川流域総合治水に従事。長年管理技術者としてプロジェクト全体を統括。
  • 増田 尚弥 増田 尚弥 河川部門
    河川グループ
    下水道ポンプ運転調整ルールを策定。現在は齋藤と共に、管理技術者としてプロジェクト全体を統括。
  • 永島 弘士 永島 弘士 河川部門
    河川グループ 河川計画チーム
    淀川水系寝屋川ブロック河川整備計画の更新に参画。複雑な氾濫解析を手掛けて治水施設の効果を定量的に評価し、事業計画を立案。

CHAPTER 1

河川、下水道一体の
総合治水へ。

寝屋川流域は、南北を大和川と淀川、東西を生駒山地と上町台地に囲まれた低平地。面積約268km2の広大な流域内には、大阪市、守口市、枚方市など12市が含まれ、約275万人の方が暮らしています。この流域の最大の特徴は、4分の3が河川よりも地盤の低い「内水域」になっていて、雨水が自然に川へ流れないこと。降った雨は下水道管を通じてポンプ場に集められ、周辺河川にポンプで強制的に排水する仕組みがつくられています。しかし、排水した雨水の出口は、京橋口の1ヶ所しかありません。加えて、昭和30年代からの急速な都市化の進展により、田畑が持っていた保水・遊水機能が低下したため「内水氾濫」が度々発生するなど、治水において脆弱なエリアと言えます。そのため、寝屋川流域では、古くから水害と闘い続けてきました。
本格的な治水が幕を開けたのは昭和29年。寝屋川改修計画の第一次計画として、現在の第二寝屋川や平野川分水路などの新川を開削し、昭和51年の第二次計画では、遊水池や河床掘削、分水路などが整備されました。しかし、河川だけの治水対策では限界があり、昭和57年の洪水で、平野川流域を中心に約34,000戸の床下浸水が発生。放流先河川の流下能力不足による下水道ポンプの停止が原因でした。「この出来事を機に、河川と下水道管理者、流域市が一体となった総合治水が始まりました。」そう語るのは、齋藤憲。昭和63年の寝屋川流域河川改修全体計画検討から今日まで、寝屋川流域総合治水をずっと伴走してきました。「当時はまだ一担当者でした。まさかこれほど長く関わるとは思ってもいませんでした。」(齋藤)

  • 流域図

ニュージェックの主な取組み

  • 昭和59年(1984年)
     ~昭和62年(1987年)
    総合的な治水対策(寝屋川流域総合治水対策調査委員会)
  • 昭和63年(1988年)
     ~平成元年(1989年)
    寝屋川流域河川改修全体計画検討
  • 平成2年(1990年)
     ~平成3年(1991年)
    寝屋川流域 流域調節池全体計画検討
  • 平成2年(1990年)
     ~平成5年(1993年)
    寝屋川地下河川施工技術検討
  • 平成4年(1992年)
     ~平成7年(1995年)
    恩智川治水緑地分散計画(H7恩智川中流部水理模型実験)
  • 平成7年(1995年)
    寝屋川流域改修全体計画 策定
  • 平成7年(1995年)
    寝屋川(北部・南部)地下河川全体計画 策定
  • 平成6年(1994年)
     ~平成9年(1997年)
    寝屋川流域施設配置計画 等
  • 平成12年(2000年)
    寝屋川地下河川全体計画変更検討
  • 平成14年(2002年)
    淀川水系寝屋川ブロック河川整備計画
  • 平成15年(2003年)
    寝屋川が洪水予報河川に指定(一級河川寝屋川流域治水計画検討業務委託)
  • 平成18年(2005年)
    寝屋川流域が特定都市河川流域に指定
  • 平成15年(2003年)
     ~平成20年(2008年)
    寝屋川南部地下河川水位変動解析業務
  • 平成15年(2003年)
     ~平成25年(2013年)
    ポンプ運転調整ルール策定
  • 平成26年(2014年)
    大深度地下利用検討(寝屋川北部地下河川外 都島調節池外基本設計委託)
  • 平成27年(2015年)
    大深度利用時の課題解決(寝屋川北部地下河川 鶴見調節池外水理模型実験委託)
  • 平成27年(2015年)
    淀川水系寝屋川ブロック河川整備計画(変更案)
  • 平成28年(2016年)
    寝屋川南部地下河川排水機場基本設計業務委託

CHAPTER 2

落差30mへの挑戦。

全国に先駆けて総合治水対策が始まった寝屋川流域。その中でも、計画の根幹に位置付けられているのは南北の2本の地下河川です。
「流量を増大させるには、河川を拡幅したり、新しい河川を掘るというのが当時の一般的な方法でしたが、市街化が進んだため、こうした工事を行うことは非常に困難でした。そこで、用地買収の必要がない道路などの地下に、新たな治水施設として地下河川を整備することが計画されました。」(齋藤)
南部地下河川13km、北部地下河川11km(最新計画では14km)という大掛かりな地下河川が計画され、その掘削工事は現在も行われています。当時、地下河川の前例は少なく、計画にあたってはいくつもの問題が生じました。その一つが、分流地点の放流の減勢対策です。
「例えば、北部地下河川の古川取水立杭では落差が30mくらいあります。そのまま水を流し落とすと構造物の損傷や騒音が発生してしまいます。それを避けるために、千鳥階段上に水を流す『千鳥型』と、筒の壁面に沿って渦を巻きながら流す『ドロップシャフト型』を検討しました。」(齋藤)
ニュージェックの宇治水理実験所で模型を作成して基礎実験を実施。その結果、古川取水立杭では通常のドロップシャフト型に狭窄部をつけることで減勢効果を向上させた独自の形状を採用※。城北取水立杭には、千鳥型を採用する予定でしたが、その後の計画変更によってトンネル断面の設置位置が大深度地下利用となったため、見直しが行われています。

  • 狭窄部付きドロップシャフト型は、土木学会関西支部美術賞を受賞しました。
  • 千鳥型
    千鳥型
  • ドロップシャフト型
    ドロップシャフト型
  • 再現実験(縮尺1/20)
    再現実験(縮尺1/20)

CHAPTER 3

できる限り、自然な姿で。

寝屋川流域総合治水対策において、ニュージェックはいくつも実証実験を行っています。中でも、齋藤にとって思い出深いものが平成7年の「恩智川中流部水理模型実験」です。恩智川の中流では、当初1ヶ所の遊水池を整備して、洪水の際には一時的に流水を貯留させることが計画されていました。しかし、敷地の取得が難しかったことなどから、3ヶ所へ分散して貯留することができないか検討することになりました。また、当初の計画では水門を設けて、強制的に分流させることが計画されていましたが、齋藤は「わざわざ水門を設けなくても、遊水地の越流堰高を調整するだけで自然に分流できるのでは。」と考え、それを立証するために、模型を作成して実証実験が行われたのです。
「恩智川は生駒山の付近を流れていますが、寝屋川流域はほとんど勾配がないエリアなので、こんなところでも感潮区間に位置します。また、寝屋川に治水緑地があり、恩智川には第二寝屋川との分流施設や逆流区間もあったりで、流量が一義的に決まらないんです。」(齋藤)
そこで、実際に下流端に水位計を設置して流量を測定し、その流量をシミュレーターで解析して、模型の下流端の水位を定めて実験を行うという手の込んだシステムを構築しました。「アナログとデジタルのハイブリッドで画期的だと、私たちエンジニアは盛り上がりました。でも、実験に立ち会った職員のみなさんがそこに注目することはなく、水門がなくても計画通りに逆流し、遊水地でカットされることに感動されていましたけどね。」と齋藤は楽しそうに当時を振り返ります。この実験の結果、3ヶ所に遊水池を分散することが決まり、水門の設置も不要となりました。どうして水門をなくしたかったのか。その理由を齋藤はこう言います。「だって、そのほうが美しいでしょう。」できるだけ自然の姿を残したい。そこには、自然と人を技術で結ぶエンジニアとしての美学がありました。

CHAPTER 4

大阪府と11市が一丸となり、
「もしも」に備える。

総合治水は、施設を整備したら終わりではありません。整備水準を超える規模の降雨が発生した場合、住民はどのように避難すれば良いのか、洪水の被害を軽減するために設備をどのように運用すれば良いのかなど、防災・減災対策が必要になります。それらをメインで担当したのが増田尚弥です。とりわけ苦労したのは、下水道ポンプの運転調整ルールの策定でした。
「寝屋川流域では浸水被害を防ぐために、平時は雨水を下水道へ流して集めてポンプで強制的に河川へ排水しています。しかし、大雨で河川の水位が上がった状態でポンプを稼働し続けると、河川の水があふれて破堤や越水を起こす危険性があります。それを防ぐために、大雨の際は下水道ポンプによる排水を制限する必要があるのですが、ポンプの運転を制限した地域では、地面から水があふれて、浸水被害が生じる恐れもあるわけです。」(増田)
むやみに制限できないため、どの水位に達したら、どのポンプの運転を制限するのかという基準を定めるのは慎重になります。また、A市で破堤の恐れがある際、B市のポンプを制限すれば水位を下げることができるとしても、B市のみなさんから理解を得ることは難しい。また、いつもC市ばかりポンプの制限が発生するというのも不公平になります。
理屈ではなく、人の心理を大切にしながら、12市全員で取り組むルールを策定する。平成15年から検討をはじめ、完成したのは平成25年のことでした。
「時間はかかりましたが、この間に大阪府の河川管理者と下水道管理者・11市の下水道管理者とで何度も対話を重ねられていました。その度に、さまざまな関係者で成り立つ委員会が一枚岩になっていくのを感じて、私はうれしかったです。」と増田。人の力こそが、災害に強いまちをつくることを知っているからです。

CHAPTER 5

水の流れを分析し、
事業計画へ昇華させる。

寝屋川流域総合治水の発表から20年が経った平成22年、次の30年に向けて河川整備計画を更新する検討が始まりました。「20年前は景気の良い時代でしたが、現在は不景気でかなり予算が縮小しています。いろいろな治水対策が考えられる中で優先順位をつけて、より効率的に治水対策効果の得られる施策を提案する必要がありました。」(齋藤)
治水対策効果を定量的に評価するにあたり、都市域の複雑な水の流れをどう分析するのか。白羽の矢が立ったのが、当時入社2年目の永島弘士でした。寝屋川流域の氾濫解析モデルは、降雨、河道、氾濫原、下水道の水の流れを一体的に解く非常に複雑なもので、改良を重ねながら受け継がれてきました。そのモデルを使って検討を進めたものの、大学院で三次元流体解析を専門的に学んだ永島さえ「これほど結果の評価が難しいシミュレーションは、後にも先にもありません。」と言わしめるほど、寝屋川流域の氾濫解析結果の分析は難解なものでした。
「この流域には、大小30河川が存在し、なおかつ下水道網が張り巡らされています。それらが複雑に影響し合うため、予期せぬところに影響が出てしまうんです。例えば、A地点で浸水を解消する対策を打ったとしても、そこが地盤高の低いところだと別の地点から地表面や下水道を通って水が流れ込んでくるため、対策の効果を判断しづらい。」(永島)

氾濫解析モデルのイメージ
氾濫解析モデルのイメージ

始業から終業まで、毎日のようにシミュレーションを行っては、何とも評価のしようがない結果が蓄積されるばかりでした。突破口が見えたのは解析を始めて6ヶ月後のこと。「外水氾濫と内水氾濫で切り分けて考えることにしたんです。」(永島)外水氾濫のほうが被害規模は大きいため、まずは外水氾濫を防ぐ対策を、その後、内水氾濫を防ぐ。そういう筋道(ストーリー)を立てたことで、対策と評価がつながっていきました。永島はいいます。
「シミュレーションは、必ずきれいな答えが出るものではありません。結果をどう分析して、事業計画としてのストーリーにしていくか。そこにエンジニアの技量が問われます。」
平成27年3月、大阪府は淀川水系寝屋川ブロック河川整備計画を公表。永島の提案したストーリーをもとに、この先30年に向けた河川整備が動き出しました。

氾濫解析モデルのイメージ
氾濫解析モデルのイメージ

CHAPTER 6

水害に強いまちへ、着実に。

この40年余りを振り返り、齋藤は言います。「平成2年に寝屋川流域の総合治水が始まり、年々施設が整備され、下水道ポンプの調整運転も行われるようになり、近年では流域全体が浸水するような洪水は起こらなくなりました。もちろん、地下河川の開通に向けては一部計画の見直しも必要でしょうし、今後も取り組むべき課題はありますが、かなり安全性が高くなっていると思います。」水害と戦い続けてきた寝屋川流域は、水害に強いまちへと着実に進歩し続けています。

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